リード:なぜ相撲は「神事」でも「興行」でもあり続けるのか
相撲は、しばしば「日本古来の神聖な伝統」として紹介される。しかし歴史を丁寧にたどると、相撲は一貫して神事(religious ritual)と実利(実力主義・興行・組織運営)という二つの顔を同時に持ち続けてきたことが見えてくる。奈良時代の宮中儀礼は同時に軍事要員の選抜の場でもあり、江戸時代の「寺社修復のための興行」という名目は、実質的には観客からの入場料を集める合法的なビジネスモデルだった。そして「国技」という言葉自体、法律上の根拠を持たない、1909年に建った一つの建物の愛称に由来する。
本稿は、日本相撲協会・公的機関のアーカイブ・報道に加え、Eric Hobsbawmの「創られた伝統(invented tradition)」概念を相撲の国技化に応用したLee Thompsonの研究など、学術文献に基づいて相撲の起源から近代の「国技」化までを「誰が金を出し、誰が対価を得ていたか」という経済的な視点から描く。なお、戦後〜現代の組織構造・番付インセンティブ・外国人力士クォータ等の経済分析は、続編記事「大相撲の“現代組織経済学” ― 番付インセンティブの歪み、外国人力士クォータ、そして無給力士たち」で扱う。
なお、本稿における神話・伝承の部分(野見宿禰の説話等)は史実として確定した出来事ではなく、あくまで『日本書紀』等に記された伝承であることを明記しておく。また、本稿の一部の解釈は推測であり、その旨を本文中に明示する。
出典:本稿全体の情報源は末尾「参照した情報源」を参照。
0. この記事の見取り図:一本の糸としての「誰が金を出したか」
相撲の1300年以上の歴史は、次の一つの問いに沿って整理すると分かりやすい。
その時代、誰が相撲にお金(または対価)を出し、誰がそれを受け取っていたのか。
| 時代区分 | 相撲の性格 | 資金・対価の出し手 | 転換のきっかけ(事実) |
|---|---|---|---|
| 奈良・平安(〜12世紀) | 宮中神事+人材選抜 | 朝廷 | 律令制の衰退で相撲節会が廃絶(1174年) |
| 鎌倉・戦国(12〜16世紀) | 武家の鍛錬・私的召し抱え | 武将個人 | 織田信長ら戦国大名の奨励 |
| 江戸(17〜19世紀) | 勧進相撲=興行 | 観客(入場料)、名目上は寺社 | 1684年深川八幡宮許可→1791年将軍上覧→1833年定場所化 |
| 明治(19世紀末〜20世紀初頭) | 「国技」への再ブランディング | 観客+皇室の権威 | 1884年明治天皇天覧相撲、1909年国技館開館・命名 |
| 戦後〜高度成長期 | メディア産業化 | 入場料+放送権料 | GHQによる国技館接収(1945-46)からの再建、テレビ中継開始(1953年頃) |
| 現代(1970年代〜) | 国際化+組織的インセンティブ設計 | 入場料+放送権料+スポンサー収入 | 高見山の初優勝(1972)、曙の初の外国出身横綱(1993)、外国人力士数の規制(1992/2002/2008) |
出典:日本相撲協会公式サイト・江東区深川江戸資料館・国立国会図書館デジタルコレクション等(詳細は各章末尾を参照)
この表が示す通り、相撲は「神事→私的な武家の鍛錬→観客相手の興行→国家的ブランド→国際的な労働市場を持つ組織」へと、資金の出し手を変えながら生き延びてきた。以下、時代を追って見ていく。
1. 起源:神話と宮中神事(〜12世紀)
伝承としての起源
相撲の起源は神話にまでさかのぼるとされる。伝承によれば、『古事記』の国譲り神話では、建御雷神(タケミカヅチ)と建御名方神(タケミナカタ)が力比べをしたという記述がある。さらに『日本書紀』の伝承では、垂仁天皇7年に野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)が天皇の前で対戦し、野見宿禰が勝利したという説話が記されている。この対戦は相撲の起源説話として最も広く知られているが、いずれも史書に記された神話・伝承であり、考古学的・史実的に実証された出来事ではない点は強調しておきたい。
出典:JBpress「相撲の成り立ちと歴史を解説」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/77127 、好角家入門「日本書紀にみる相撲節の起源」https://a-new-sumo-fan.com/history/nihonshoki.php
制度としての最古の記録
伝承より確実性の高い記録としては、養老3年(719年)に相撲を統括する「相撲司」という役職の初見がある。さらに天平6年(734年)には、聖武天皇の勅命で全国から相撲人が集められ、7月7日の七夕祭りの余興として天皇に披露されたという記録が残る。これが「相撲節会(すまいのせちえ)」――天覧相撲の最初の記録とされる。
奈良・平安時代を通じて、相撲節会は宮中の年中行事として定着した。当初は七夕行事の余興という位置づけだったが、次第に「健児(こんでい)の制」という宮中警護要員の選抜という実務的な意味も帯びるようになる。すなわちこの時代の相撲は、天皇の権威を演出する儀礼であると同時に、実戦力を選ぶ人材選抜の場でもあった。しかし律令制の衰退とともに相撲節会は次第に滞り、承安4年(1174年)を最後に廃絶したとされる。
出典:江東区深川江戸資料館 資料館ノート第105号(2014年9月16日発行)https://www.kcf.or.jp/cms/files/pdf/original/8014_%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88105.pdf 、参考(学術書):新田一郎『相撲の歴史』(山川出版社1994年/講談社学術文庫)
分析メモ:この「神事」と「実利(軍事選抜)」という二重性は、相撲がその始まりから単なる宗教儀式ではなかったことを示している。この二重性は、後述する江戸期の「興行(観客からの収益)」と「権威付け(将軍上覧・国技化)」という二重性にそのまま連なる、相撲史を貫く構造だと整理できる。
2. 鎌倉・戦国期:武家の鍛錬と私的なスカウト活動(12〜16世紀)
宮中行事としての相撲節会が廃絶した後、相撲は武家社会の鍛錬・娯楽として引き継がれた。源頼朝は相撲を好み、御家人や力士を招いて相撲を取らせたという記録がある。戦国時代に入ると、戦国武将たちは力自慢の家臣を実戦力として確保する手段として相撲を利用するようになった。
中でも織田信長は相撲の熱心な愛好者として知られ、元亀元年(1570年)から天正9年(1581年)にかけて、安土城下の常楽寺でたびたび相撲大会(上覧相撲)を開いた。安土城下の大会では1,500人規模を集めた記録もあり、信長は勝者を自らの家臣として召し抱えることもあったとされる。
出典:ホームメイト「大相撲の起源と武士」https://www.touken-world.jp/tips/26158/ 、和樂web「相撲LOVEの織田信長がつくった?安土に残る古文書でわかった、大相撲の『東西』の起源」https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/94329/ 、BUSHOO!JAPAN https://bushoojapan.com/bushoo/oda/2025/02/28/109711
分析メモ:この時代の相撲は「観客から金を取る興行」ではなく、あくまで武将による私的な人材スカウト・鍛錬・娯楽の手段だった。金を出す側は武将個人であり、力士が得る対価は「仕官」だった。次章の江戸期には、これが「観客が金を出し、寺社・興行主が収益を得る」という構造へと転換する。この「誰が金を出し、誰が対価を得るか」の転換こそが、相撲がビジネスへと変貌する最初の分岐点である。
3. 江戸時代:「規制産業」が合法的な興行へ変わるまで
ここからが、相撲の経済史として最も興味深い部分である。江戸期の相撲は、現代の言葉で言えば**「規制のグレーゾーンを名目によって合法化し、観客からの入場料を収益源とする興行ビジネスへと転換させたプロセス」**として読み解ける。
4段階のプロセス
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 戦国時代〜江戸初期 | 「勧進相撲」(寺社の本堂・山門等の造営・修復費用を捻出する目的の相撲興行)が京都・大坂・江戸を中心に始まる |
| 17世紀中頃 | 目的が寺社勧進であっても「社会の風紀を乱す」として、幕府が相撲興行を禁止 |
| 貞享元年(1684年) | 江戸・深川八幡宮(富岡八幡宮)で勧進相撲が許可され、以後頻繁に開催されるように |
| 元禄期(1688〜1704年) | 幕府が勧進相撲を公認する方向へ転換 |
| 寛政3年(1791年) | 将軍徳川家斉による上覧相撲を契機に、相撲が幕府公認の娯楽として明確に位置づけられる |
| 天保4年(1833年) | 回向院(両国)が定場所(定期的な興行地)となる |
出典:東京都立図書館「江戸・東京デジタルミュージアム」大相撲スペシャル『勧進大相撲の誕生』https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/sumo/page1-1.html 、江東区深川江戸資料館 資料館ノート第106号 https://www.kcf.or.jp/cms/files/pdf/original/8015_%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88106.pdf 、大阪市「勧進相撲興行の地」https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009582.html
なぜこれが「経済史」として面白いのか
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「宗教目的」を隠れ蓑にした興行免許制度:江戸幕府は当初、風紀維持を理由に相撲興行そのものを禁止していた。それが「寺社の修復費用を集める」という名目(勧進)を得ることで、公権力の許可――いわば興行免許――を獲得できた。これは現代でいえば、非営利目的の名目で規制の例外を得て、実質的に営利事業として成立させる制度設計に近い。勧進相撲は単なる「相撲イベント」ではなく、規制産業が名目を工夫することで合法的な収益事業へ転換した歴史的事例として捉えることができる。
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将軍上覧という「権威付けマーケティング」:寛政3年(1791年)の徳川家斉による上覧相撲は、興行の社会的信用を一気に高める効果を持ったと考えられる(推測)。現代のスポーツビジネスに置き換えれば、政府要人や皇室の観戦、公的なお墨付きがブランド価値を高めるのと同じ構造であり、「幕府公認」というステータスが観客動員・後援の増加に直結したと考えられる(推測。上覧相撲と観客動員数を直接結びつける統計は確認できていない)。なお、この上覧相撲がどのような政治的・組織的経緯で実現したかについては、木梨雅子「『寛政の上覧相撲』(1791年)の開催経緯について」(『体育学研究』第43巻5-6号、日本体育学会、1998年)が、相撲会所・吉田家(相撲の家元格)・行司らの力学から実証的に論じている。
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定場所化による興行の固定費構造の変化:興行地が転々としていた状態から、天保4年(1833年)に回向院という常設地に固定されたことで、開催地の設営費用や集客の予見可能性が向上し、興行としての再現性・継続性が高まったと考えられる(推測)。これは現代の「常設スタジアム化」による興行ビジネスの安定化と類似の構造である。
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スター選手経済の原型:天明〜寛政期には谷風梶之助・小野川喜三郎・雷電為右衛門ら名力士が活躍し、江戸の大相撲人気を牽引したと伝えられる。人気力士の存在が観客動員を左右するという構造は、現代のスター選手中心のスポーツビジネスモデルの原型と言える。
出典:上記各項目に対応する出典に加え、木梨雅子「『寛政の上覧相撲』(1791年)の開催経緯について―19代目吉田善左衛門の登用をめぐって―」『体育学研究』第43巻5-6号(1998年)234-244頁 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/43/5-6/43_KJ00003392098/_article/-char/ja/
江戸庶民は相撲をどう見物していたか(学術研究より)
近年の日本史学・スポーツ史研究では、勧進相撲が江戸庶民にとってどのような娯楽消費だったかを扱った研究もある。谷釜尋徳「近世後期における江戸庶民の勧進相撲興行見物の実際」(東洋大学『スポーツ健康科学紀要』第11号、2014年3月、55-77頁)は、江戸庶民が実際にどのように勧進相撲を見物していたか(観客層・見物の実態)を近世庶民のスポーツ観戦文化史として分析している。また、同研究者の別稿では、相撲興行を担う組織が宝暦年間(1751〜64年)に形成され、安定的な興行体制が整ったことも論じられている。
出典:谷釜尋徳「近世後期における江戸庶民の勧進相撲興行見物の実際」『スポーツ健康科学紀要』第11号(東洋大学、2014年3月)https://researchmap.jp/g0000208033/published_papers/7597619/attachment_file.pdf 、谷釜尋徳「近世における江戸庶民のスポーツに関する一試論」『東洋法学』第62巻3号 https://researchmap.jp/g0000208033/published_papers/19156983/attachment_file.pdf
4. 明治時代:滅びかけた相撲と「国技」という名のブランディング ― なぜ国技に法律の根拠がないのか
文明開化が生んだ存亡の危機
明治維新後(1868年〜)、文明開化・西洋化の風潮の中で、相撲は「旧時代の遺物」と見なされ、相撲廃止論が唱えられるなど角界は苦境に陥った。相撲にとって、これは律令制崩壊(相撲節会の廃絶)に次ぐ大きな危機だったと言える。
天皇の権威による再興
この危機を打開したのが、明治天皇による天覧相撲だった。明治17年(1884年)、伊藤博文の働きかけによるものとされる大規模な天覧相撲が芝離宮で開催され、これが相撲人気回復の転機となった。以後、明治天皇による天覧相撲は複数回にわたって繰り返され、相撲の社会的評価の回復に寄与したとされる。
出典:SPAIA「廃止の危機?国技になったのはいつ?大相撲の歴史をひもといてみよう」https://spaia.jp/column/sumo/1492 、BUSHOO!JAPAN「明治維新で滅びかけた相撲」https://bushoojapan.com/jphistory/johmon/2025/02/10/108325 、国立国会図書館デジタルコレクション 第153回常設展示「国技・相撲」https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_999435_po_153.pdf?contentNo=1
「国技」は法律用語ではない ― 欧米読者にも意外性が強い事実
ここで、当社が最も強調したい事実がある。「国技」という言葉を相撲に与えた法律・政令は、日本には一つも存在しない。
この言葉が生まれた経緯は、次のようなものだ。明治42年(1909年)6月2日、両国に相撲の常設館(初代・両国国技館)が開館した。この施設の名称を決める際、好角家(相撲ファン)として知られた作家・江見水蔭が開館式の披露状に「角力は日本の國技なり」と書いた。これに共感した年寄・三代尾車文五郎(元大関大戸平)が「国技館」という名を提案し、開館式では常設委員会委員長・板垣退助によってこの名称が披露された。
つまり、「相撲=国技」という認識は、国技館という一つの建物の愛称が先に生まれ、それが社会に定着することで事後的に形成されたものであり、政府が公式に相撲を「国技」に指定した法的手続きは存在しない。これは日本国内でも一般に誤解されやすい事実であり、法律や政令で「国技」が定められていると信じている人は少なくない。英語圏の読者にとっても、「national sport」という肩書きが実は一つの建物の命名に由来するという経緯は、意外性の強いトリビアとして受け止められるだろう。
出典:大相撲百科(ozumo.jp)「日本の国技は相撲?法的根拠と『国技』と呼ばれる本当の理由」https://ozumo.jp/https-ozumo-jp-nihon-kokugi/ 、sumo-times「相撲は国技ではない?法的根拠と『国技』と呼ばれる本当の理由を徹底解説」https://www.sumo-times.jp/sumo-national-sport-myth-explained/ 、国立国会図書館デジタルコレクション(前掲)。なお「国技」の日本語版Wikipediaは単独では出典として使わず、上記メディア記事・国立国会図書館資料と併用して裏取りしている。
「創られた伝統」というアカデミックな補助線
この明治期の国技化のプロセスは、単なる日本語圏の逸話にとどまらない。英語圏の学術研究の中には、これを歴史学者Eric Hobsbawmが提唱した**“invented tradition”(創られた伝統)**という概念の枠組みで分析したものがある。Hobsbawmの議論は、「古来からの伝統」とされる慣習の多くが、実は近代国家形成期に意図的・比較的短期間に作られたものだという視点を提示するもので、欧米の歴史学・社会学では広く知られた概念である。
Lee A. Thompsonの論文 “The Invention of the Yokozuna and the Championship System”(Stephen Vlastos編 Mirror of Modernity: Invented Traditions of Modern Japan, University of California Press, 1998年, pp.174-188所収)は、まさにこのHobsbawmの枠組みを近代日本の相撲研究に応用し、「近代相撲は記紀神話・17世紀起源を称するが、その様式の大半は20世紀初頭に創出されたものだ」という趣旨を論じている。これは、本稿がここまで述べてきた「国技館命名という一つの出来事が業界全体のブランドを作った」という見立てに、学術的な裏付けを与えるものと言える。
出典:Lee A. Thompson, “The Invention of the Yokozuna and the Championship System, Or, Futahaguro’s Revenge,” in Stephen Vlastos (ed.), Mirror of Modernity: Invented Traditions of Modern Japan (University of California Press, 1998), pp.174-188 https://www.degruyterbrill.com/document/doi/10.1525/9780520918177-016/pdf?licenseType=restricted 、Allen Guttmann & Lee Thompson, Japanese Sports: A History (University of Hawaii Press, 2001) https://uhpress.hawaii.edu/title/japanese-sports-a-history/
分析メモ:明治期の相撲は、①文明開化という強烈な外部環境変化の中で「時代遅れ」というレッテルを貼られ存続の危機に陥り、②天皇の天覧という権威の再動員(江戸期の将軍上覧と同じロジックの再演)によって社会的信用を回復し、③さらに「国技館」という求心力のあるブランド名を得て、明治末期に地位を確立した――という流れとして整理できる。これは、衰退産業が権威付けとブランディングによって再生した事例として読むことができる。加えて、1909年の国技館開館(常設興行施設の完成)自体が、勧進相撲時代の「仮設・巡回型」の興行から「常設・定期開催型」の近代的スポーツビジネスへの転換点だったと位置づけられる(推測)。これは前章で述べた回向院の定場所化(1833年)の延長線上にある、興行インフラの近代化と読むことができる。
5. 戦後〜現代への橋渡し
明治末期に「国技」としての地位を確立した相撲は、戦後さらに法人化・国際化・組織的インセンティブ設計という現代的な変化を経ていく。この戦後〜現代の展開――法人化の歩み、GHQによる国技館接収からの再建、テレビ時代の到来、外国出身力士の受け入れとクォータ規制、相撲部屋・番付制度の組織経済学(Duggan & Levittの八百長研究を含む)――は、姉妹記事「大相撲の「現代組織経済学」を読み解く」で集中的に扱っている。
まとめ:一本の糸としての相撲史
ここまで見てきたように、相撲の起源から近代の「国技」化までは「神事→武家の私的鍛錬→興行(ビジネス)→国技(ブランド)」という一本の糸としてたどることができる。
- 相撲は最初期から「神事」と「実利(軍事選抜)」の二重性を持っていた。
- 江戸期の勧進相撲は、規制産業が「寺社修復」という名目を得て合法的な興行へと転換した歴史的事例であり、将軍上覧という権威付けマーケティングによってさらに社会的信用を高めた。
- 「国技」という言葉は法律に基づくものではなく、1909年の国技館開館時に生まれた建物の愛称に由来する。この経緯は、英語圏の学術研究では“invented tradition”(創られた伝統)という概念で論じられている。
この後、戦後の相撲がどのように法人化・国際化し、番付・部屋制度という現代的な組織インセンティブを作り上げていったかは、姉妹記事「大相撲の「現代組織経済学」を読み解く」(Duggan & Levittの八百長研究、外国人力士クォータ、無給力士の給与断絶を扱う)で引き続き読み解く。
なお、本稿で「推測」と明記した箇所は、いずれも経済的な解釈であり、一次情報で直接裏付けられたものではない点を改めて付記しておく。また、日本相撲協会公式サイトの「相撲の歴史」「協会のあゆみ」両ページについては、本稿作成時点で検索結果経由の情報にとどまり、直接の一次確認が未了である。
### 参照した情報源
公式・公的機関の情報源(一次情報またはそれに準ずるもの)
- 日本相撲協会公式サイト「相撲の歴史」https://www.sumo.or.jp/IrohaKnowledge/sumo_history/
- 日本相撲協会公式サイト「協会のあゆみ」https://www.sumo.or.jp/IrohaKyokai/history/
- 東京都立図書館「江戸・東京デジタルミュージアム」大相撲スペシャル https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/sumo/page1-1.html
- 江東区深川江戸資料館 資料館ノート第105号・第106号
- 大阪市「勧進相撲興行の地」https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009582.html
- 国立国会図書館デジタルコレクション 第153回常設展示「国技・相撲」https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_999435_po_153.pdf?contentNo=1
学術論文・学術書
- 新田一郎『相撲の歴史』(山川出版社1994年/講談社学術文庫)
- 谷釜尋徳、東洋大学『スポーツ健康科学紀要』第11号(2014年)ほか
- 木梨雅子『体育学研究』第43巻5-6号(1998年)
- Lee A. Thompson, in Mirror of Modernity: Invented Traditions of Modern Japan (1998)
- Roderic Kenji Tierney, Wrestling with Tradition, Ph.D. dissertation, UC Berkeley (2002)
- Allen Guttmann & Lee Thompson, Japanese Sports: A History (2001)
報道機関・専門メディア(裏取り済み二次情報)
- SPAIA、JBpress、好角家入門、ホームメイト、和樂web、BUSHOO!JAPAN、大相撲百科(ozumo.jp)、sumo-times ほか
Wikipedia(補助的に使用。単独では出典とせず、上記情報源と併用)
- 相撲/武家相撲/国技
戦後〜現代の組織構造・番付インセンティブ・外国人力士クォータに関する出典(Duggan & Levitt、Mark West等の学術論文を含む)は、姉妹記事「大相撲の「現代組織経済学」を読み解く」の参照情報源を参照。