大相撲の力士は、ある日を境に「無給」から「月収100万円超」へと一段で跳ね上がる。しかも、その跳躍の原資の一部は、無給だった時代からすでに積み立てられている。本稿は、この積立の仕組みと、そこから見える相撲界特有の報酬設計を掘り下げる。

本稿は、姉妹記事「大相撲の『現代組織経済学』を読み解く」で触れた「幕下以下は無給 ― 欧米のプロスポーツとの決定的な違い」という論点の続編である。同記事では「十両以上には月給が出るが、幕下以下には出ない」という二分法を指摘するにとどまっていた。本稿では、①番付ごとの具体的な月給額、②無給力士たちの実際の生活実態、③「持ち給金(力士褒賞金)」という、無給時代からすでに始まっている積立制度、④米国マイナーリーグ野球(MiLB)の低賃金問題との、より解像度の高い国際比較――という4方向にさらに踏み込む。

出典:本稿全体の情報源は各節の<small>表記および末尾「参照した情報源一覧」を参照。

大相撲の番付表
写真:大相撲の番付表(1993年のもの)。番付は上位の幕内・十両(関取)から下位の幕下以下まで、力士の序列を一枚の紙にすべて記載する。撮影:Groink/Kucharek、パブリックドメイン(著作権の対象とならない編集物)、出典:Wikimedia Commons

1. 番付ごとの月給 ― 「関取」と「それ以外」の一線

日本相撲協会は「寄附行為施行細則」に基づき力士の月給を定めている。直近の改定は2018年11月29日の理事会決定で、18年ぶりの引き上げとなり、2019年1月場所から適用された。複数の報道・専門サイトを突き合わせた限り、2026年7月時点でもこの金額が維持されている。

番付 月給(2019年1月改定後・現行) 月給(2018年12月以前)
横綱 300万円 282万円
大関 250万円 234万7,000円
三役(関脇・小結) 180万円 169万3,000円
前頭(平幕) 140万円 130万9,000円
十両 110万円 103万6,000円
幕下以下 支給なし(0円) 同左

出典:大相撲のはてなに効く!観戦ガイド「力士の給料はどれぐらい?関取と幕下以下に分けて収入を詳しく解説!」https://sumo-guide.com/rikishu-kyuuryou-system 、しんざぶろうのライフハックブログ「力士の給料はいくら?番付による違いは?」https://shinzabu.com/sumo-trivia/salary/ 、日本経済新聞「【大相撲】24年最も稼いだ力士は? 角界のサラリーマン的給与体系」(2025年1月19日)https://www.nikkei.com/article/DGXZQODH110Q70R11C24A2000000/ 、日本経済新聞「力士の稼ぎ、どう決める? 能力・年功評価の給与体系 優勝賞金『安い』指摘も」(2025年2月3日、会員限定のため見出し・日付のみ確認)https://www.nikkei.com/article/DGKKZO86478170T00C25A2US0000/

なお、関取にはこの月給に加えて年2回の一時金(月給1か月分相当)、本場所ごとの手当、地方巡業手当、優勝賞金(幕内最高優勝1,000万円)、懸賞金(幕内の取組のみ)などが別建てで支給される。これらは番付ごとの基本月給とは別の仕組みであり、本稿の主題(月給の断絶)からは外れるため深入りしない。

注目すべきは、表の最下段である。十両以上(「関取」)には月給が支払われる一方、幕下・三段目・序二段・序ノ口という力士人口の大多数を占める階層には、協会からの月給が一切支払われない。この「十両昇進」という一線が、単なる番付上の一段ではなく、無給から有給への切り替わりの境界線そのものであるという点は姉妹記事で述べた通りだが、ここから先――「では無給の力士たちは実際どう暮らしているのか」「その断絶を金額で表すとどれほどの差なのか」――は、まだ論じられていなかった。


2. 無給力士たちは何で生活しているのか

月給が支払われない幕下以下の力士は、協会内で「力士養成員」と呼ばれる。彼らの生活を支えているのは、主に次の2つの仕組みである。

2-1. 力士養成員場所手当

月給の代わりに、本場所ごと(年6回)に「養成員場所手当」が支給される。

番付 場所手当(1場所あたり) 年間換算(6場所)
幕下 16万5,000円 99万円
三段目 11万円 66万円
序二段 8万8,000円 52万8,000円
序ノ口 7万7,000円 46万2,000円

出典:大相撲のはてなに効く!観戦ガイド(前掲)https://sumo-guide.com/rikishu-kyuuryou-system 、しんざぶろうのライフハックブログ「幕下以下の力士ってどんな生活なの?」https://shinzabu.com/life/makushitabelow-life/

一番下の序ノ口では年間46万2,000円、最も高い幕下でも年間99万円である。これだけを見れば、日本の平均的な生活水準からすればかなり厳しい水準と言わざるを得ない。

2-2. 相撲部屋による衣食住の現物給付

もっとも、力士養成員は相撲部屋に所属している限り、衣食住そのものの心配はない。食事は部屋の「ちゃんこ」(共同の食事)でまかなわれ、寝具や浴衣は親方から支給される。ただし住環境には番付による差があり、序二段以下は大部屋(30〜50畳程度)での雑魚寝、私物は押し入れの半分程度が割り当てられる程度にとどまるが、三段目・幕下になるとベッド付きの個室的なスペースが用意されるようになる。

出典:しんざぶろうのライフハックブログ「幕下以下の力士ってどんな生活なの?」https://shinzabu.com/life/makushitabelow-life/

2-3. 現金以外の待遇格差 ― 傘・座布団・髪型にまで及ぶ番付

番付による格差は現金給与だけにとどまらず、日常の身なりや振る舞いにも及ぶ。

さらに、部屋によっては幕下以下のわずかな手当から「管理費」名目で数万円が天引きされる場合もあり、実家からの仕送りに頼らざるを得ないケースも少なくないと報じられている。

出典:マネーポストWEB「相撲界は超格差社会 人気と実力があれば年収億超え、幕下以下は傘や座布団も制限される」(2023年5月6日)https://www.moneypost.jp/1018605/2/ 、しんざぶろうのライフハックブログ(前掲)https://shinzabu.com/life/makushitabelow-life/

傘の材質、座布団の有無、髷を結えるかどうか――これらは金額に換算しにくい差だが、「同じ土俵の上でも、番付という一線が生活のあらゆる細部を分けている」ことを何より雄弁に物語っている。


3. 持ち給金 ― 無給時代からすでに積み上がる「見えない残高」(繰延報酬という会計的構造)

ここからが本稿の核心である。関取(十両以上)には、月給とは別に「力士褒賞金」、通称「持ち給金」と呼ばれる成績連動型の加算給が本場所ごとに支給される。この制度の最大の特徴は、その“起点”が無給の序ノ口時代からすでに始まっているという点にある。

3-1. 基本ルール

項目 内容
起点 序ノ口に上がった時点(まだ無給の力士養成員の段階)で3円が付与される
加算 本場所で勝ち越すごとに、勝ち越し1点につき0.5円を加算(例:9勝6敗は勝ち越し3点→+1.5円)
減額 負け越し・休場・出場停止による減額はない(下振れしない設計)
番付ごとの最低保証額 十両40円/幕内60円/大関100円/横綱150円。昇進時にこの最低額に達していなければ差額が加算され、降格時は嵩上げ分が減額される
特別加算 金星(平幕以下が横綱に勝つ)で+10円、幕内最高優勝で+30円、全勝優勝で+50円
現金化の倍率 円建ての持ち点に一定倍率を掛けた金額が、本場所ごとに実際に支給される。倍率は1969年まで1,000倍→1970〜1984年1,500倍→1985〜1997年2,500倍→1998年以降4,000倍(現行)

出典:力士褒賞金 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E5%A3%AB%E8%A4%92%E8%B3%9E%E9%87%91 、SPAIA「大相撲の特殊な報奨金制度、『持ち給金』について解説します!」(2017年5月8日)https://spaia.jp/column/sumo/4098 、マネーポストWEB「【大相撲幕内“給金番付”】現役力士の『本当の収入』公開」(2023年7月27日)https://www.moneypost.jp/1046653 、Mochikyūkin, English Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Mochiky%C5%ABkin

つまり、序ノ口に上がった瞬間から、まだ月給を一円ももらっていない力士でも「持ち給金3円」を保持していることになる。そこから幕下・三段目時代に勝ち越しを重ねるたびに、持ち給金は無給のままじわじわと積み上がっていく。この積立分は、十両に昇進した瞬間に一気に現金化される。

3-2. 具体的な金額感

出典:マネーポストWEB(前掲、2023年7月27日)https://www.moneypost.jp/1046653/2/

3-3. 会計的に見ると「繰延報酬」に近い構造

USCPA(米国公認会計士)の視点で持ち給金の仕組みを整理すると、次のように言える(この会計的な整理は当社独自の解釈であり、日本相撲協会が公式にそう説明しているわけではない)。

言い換えれば、幕下以下の無給力士は、月給という意味では文字通りゼロ円だとしても、勝ち越しを重ねている限り、将来十両に昇進した瞬間に現金化される「見えない残高」を、無給のうちからすでに積み立てていることになる。

なお、「幕下時代に持ち給金を稼ぎ貯めた力士が十両昇進初日から上乗せ受給できる」という運用は、上記のルールから論理的に導かれる帰結として記載しているが、この具体的な運用例そのものの実例報道は今回確認できていない(安芸乃島の実例は現役中の平幕〜三役時代の話であり、「昇進初日」の具体例ではない点に注意されたい)。


4. 断絶の大きさを数値で見る ― 幕下から十両への昇進で年収は約14倍に

月給と持ち給金の最低保証額を機械的に組み合わせると、番付ごとの「協会からの現金収入の下限値」を試算できる。以下は懸賞金・優勝賞金・地方巡業手当・実際の持ち給金の積み増し分などを含めない、あくまで比較用の単純化モデルである。

番付 月給(年換算) 持ち給金 最低保証(年換算) 年間下限合計(概算)
横綱 3,600万円 360万円 約3,960万円
大関 3,000万円 240万円 約3,240万円
三役(関脇・小結) 2,160万円 144万円(幕内共通最低) 約2,304万円
前頭(平幕) 1,680万円 144万円(幕内共通最低) 約1,824万円
十両 1,320万円 96万円 約1,416万円
幕下 0円 (対象外) 約99万円(場所手当のみ)
序ノ口 0円 (対象外) 約46万2,000円(場所手当のみ)

このモデルから見える断絶の大きさは次の通りである。

つまり相撲の給与制度は、番付内で緩やかに傾斜するのではなく、十両昇進という一点に極端に大きな金銭的落差を集中させる設計になっている。


5. 米国マイナーリーグ野球(MiLB)との比較 ― 「欧米は昔から恵まれていた」わけではない

姉妹記事では「欧米の主要プロスポーツは下部リーグの選手にも契約に基づく給与が支払われる」という一般論を紹介した。この点自体は形式的には正しい。しかし、米国のマイナーリーグ野球(MiLB)の実態を掘り下げると、より解像度の高い比較が見えてくる。

時期 出来事
2021年時点 多くのマイナーリーガーが年収1万ドル未満と報告。オフシーズン・スプリングトレーニング期間は無給が一般的。ルーキー/コンプレックスリーグの最低年俸は約4,800ドル程度
2014年 元マイナーリーガー3名(Aaron Senne他)が、公正労働基準法(FLSA)違反(最低賃金・残業代未払い)を主張し、MLBを相手取り集団訴訟(Senne et al. v. MLB)を提起
2022年5月10日 MLBが1億8,500万ドルの和解に合意(裁判開始3週間前)
2023年3月29日 連邦地裁判事が和解を最終承認。スポーツ史上最大級の賃金訴訟和解の一つとされる
2022年 マイナーリーグ選手会(Minor League Baseball Players Association)がMLB選手会の傘下で結成・組合承認
2023年 史上初のMiLB労使協約(CBA)締結。最低年俸を大幅に引き上げ(コンプレックスリーグ4,800ドル→19,800ドル、Low-A 11,000ドル→26,200ドル、High-A 11,000ドル→27,300ドル、Double-A 13,800ドル→30,250ドル、Triple-A 17,500ドル→35,800ドル)。あわせて住居支援、ほぼ通年での給与支払い、毎年の自動昇給も導入された

出典:ESPN「MLB to pay $185 million in settlement with minor league players over minimum-wage and overtime allegations」https://www.espn.com/mlb/story/_/id/34249632/ 、ESPN「Judge OK’s $185M settlement in minor leaguers’ suit vs. MLB」(2023年3月29日)https://www.espn.com/mlb/story/_/id/35998173/ 、Baseball America「How Much Are Minor League Baseball Players Paid」https://www.baseballamerica.com/stories/how-much-are-minor-league-baseball-players-paid-in-2026/ 、Korein Tillery「“Historic” $185 Million Settlement in Minor League Baseball Wage-And-Hour Case」https://www.koreintillery.com/post/historic-185-million-settlement-in-minor-league-baseball-wage-and-hour-case-given-final-approval

この年表が示すのは、「欧米は昔から下部リーグの選手にも十分な給与を払ってきた」という単純な話ではない、ということである。MiLBの下部リーグ選手は契約上こそ「有給」だったが、実質的な時給換算では最低賃金法違反が疑われるほどの低賃金であり、2022年の集団訴訟和解と2023年の労使協約というごく最近の構造改革によって、ようやく大幅な改善が実現したばかりである。

言い換えれば、**「欧米も最近まで同種の“安すぎる下積み”問題を抱えており、それを訴訟と労働組合というアメリカ的な手段で是正した」**というのが、より正確な比較である。相撲の幕下以下無給制度は、2026年7月時点では、こうした法的・労働組合的な是正プロセスを経ていない。

この違いが生じる背景として、以下はいずれも推測であることを明記した上で提示したい。

相撲界にいずれ同様の是正圧力がかかるかどうかは、現時点では見通せない(推測)。ただ、MiLBの事例が示すのは「下積み世代の低賃金は、いつまでも当然視され続けるとは限らない」という点であり、この意味で相撲の制度を考える上でも示唆的な比較対象と言えるだろう。

米マイナーリーグ野球(MiLB)の球場
写真:米マイナーリーグ野球(MiLB)、トラバースシティ・ビーチ・バムズの本拠地Wuerfel Park。撮影:Writer20、CC BY-SA 3.0、出典:Wikimedia Commons

6. なぜこの設計は合理的でありうるのか ― トーナメント理論という視点

番付・持ち給金制度の全体設計は、労働経済学における「トーナメント理論(rank-order tournament)」の枠組みで説明できる。Edward P. Lazear & Sherwin Rosen, “Rank-Order Tournaments as Optimum Labor Contracts,” Journal of Political Economy, Vol.89 No.5(1981年10月号), pp.841-864は、個々人の絶対的な生産性を正確に測定するコストが高い状況では、絶対評価ではなく相対的な順位(ランク)に応じて報酬を支払う契約の方が効率的になりうること、また上位ランクの報酬を大きく引き上げる(=賞金格差を大きくする)ことで、下位の競争者を含めた全体の努力水準を引き出せることを理論的に示した、労働経済学における古典的な論文である。

出典:Edward P. Lazear & Sherwin Rosen, “Rank-Order Tournaments as Optimum Labor Contracts,” Journal of Political Economy, Vol.89 No.5(1981), pp.841-864

この理論を相撲に当てはめると、以下のように整理できる(分析部・執筆部による理論的な適用であり、日本相撲協会が同理論に基づき制度設計したという事実は確認されていない)。

なお、姉妹記事「大相撲の現代組織経済学」で紹介したDuggan & Levitt(2002年、American Economic Review)の研究は、7勝7敗の力士の勝率が理論値を大きく上回るという統計的異常――すなわちトーナメント構造がもたらす「歪み」――を扱ったものである。これに対し本稿で導入したLazear & Rosen(1981年)は、そもそもなぜランク(順位)に応じた報酬設計が労働契約として合理的でありうるかという、制度設計そのものの理論的な土台を扱っている。両論文は異なる角度から番付制度を照らしており、あわせて読むことで「なぜこの仕組みが生まれ、なぜ歪むのか」の両面が見えてくる。

出典:Duggan & Levitt, “Corruption in Sumo Wrestling,” American Economic Review, Vol.92 No.5(2002), pp.1594-1605(詳細は姉妹記事参照)

補足として、直接相撲を扱った研究ではないが、C.M. McLeod, Nola Agha & T. Chahardovali, “Unrealistic Expectations and Future Status Coercion in Minor League Baseball Players’ Future-Oriented Labor,” Sociology of Sport Journal, Vol.40 No.4(2023年)は、「将来の出世への期待が、選手による低賃金・悪待遇の受容を生む」というMiLB選手の心理を論じている。これは相撲の幕下以下の力士の心理にも類推的に援用できる可能性がある(あくまで類推であり、相撲を直接対象とした研究ではない点に注意)。

出典:C.M. McLeod, Nola Agha & T. Chahardovali, Sociology of Sport Journal, Vol.40 No.4(2023年)


まとめ

制度の全体像(相撲部屋の組織構造、外国出身力士のクォータ、番付制度が生む「歪み」の実証研究など)については、姉妹記事「大相撲の『現代組織経済学』を読み解く」もあわせて参照されたい。


### 参照した情報源一覧

公式・準公式

  • 日本相撲協会 寄附行為施行細則に基づく給与改定(2018年11月29日理事会決定、2019年1月場所適用)― 複数の独立した報道・専門サイトが一致して報じている数値(協会公式サイトでの直接確認は今回未実施)

学術論文

  • Edward P. Lazear & Sherwin Rosen, “Rank-Order Tournaments as Optimum Labor Contracts,” Journal of Political Economy, Vol.89 No.5 (1981), pp.841-864
  • C.M. McLeod, Nola Agha & T. Chahardovali, “Unrealistic Expectations and Future Status Coercion in Minor League Baseball Players’ Future-Oriented Labor,” Sociology of Sport Journal, Vol.40 No.4 (2023)
  • Duggan & Levitt, “Corruption in Sumo Wrestling,” American Economic Review, Vol.92 No.5 (2002)(姉妹記事より参照)

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